RÓT by FYLGDU MÉR

ESSAY

雲仙が育む生命 - 種

FYLGDU MÉRのプレスドジュースをつくる上で欠かせないのが、長崎県雲仙市の種採り農家の先駆者、岩崎政利さんの在来種※1の野菜の数々。みずみずしい香り、個性的で力のある旬の味わいが詰まった野菜は、私たちのジュースと料理の大切な核となっている。島原半島で年間50種以上の野菜を育てながら、それぞれの種子を採り、次の世代へとつなぐ営みについて岩崎さんに伺った。

雲仙は霧が立ちやすい。
あちこちで清冽な湧き水に出会う。
岩崎さんの「種の自然農園」を訪ねる車中、東京からこの土地に移住した奥津爾さんはそう説明してくれた。雨の上がった島原半島では、深い谷筋から白い霧が静かに立ち上っている。山は静かに呼吸をしながら、半島全体に水を巡らせているかのようである。
橘湾に面した小浜温泉から小さな坂を登っていったところにある祠の脇には、町民の誰もが湧き水を汲める柄杓が置かれていた。すぐそばの集落は、刈っても湧くほど豊かな水脈があることから「刈水」という地名がついているほどである。背後の山は原生林に覆われ、昔から樹木に斧を当てることが禁じられていたという。さらに車を走らせた山中の小川の脇には水原神社が祀られていた。生命を守り、田畑を潤してきた水の生まれる場所を、この土地の人々が大切にしてきた歴史を、小さな祠たちは伝えている。

島原半島の中央近くにある火山・雲仙岳山頂から北側の麓に岩崎さんの畑は点在する。有明海に面し、潮風がミネラル分を運ぶ土地で、岩崎さんは長年野菜を無農薬で栽培するだけでなく、その種子を採取し続けてきた。「種子を採取する」とひとことで書いたが、そのプロセスがどれほど手間と経験と愛情を必要とするものか、実際に体験した方は少ないかもしれない。なぜなら今、農家の大多数が種苗会社が輸入したり育種管理した種子を購入し、作物の栽培をしているからだ。また、市場に出回る野菜はF1種※2の種子から育ったものが多い。大きさ、長さ、形質が安定しているなど規格に合う野菜が大手流通市場では望まれるのが理由である。土に蒔かれて芽を出し、花を咲かせて実を結び、種子を残す。その風土で生きていく力を持った生命が育っていく。かつて当たり前だったこの自然の営みに寄り添う農業が少数派になったのは、野菜を生産しながら種を採り、守ることが非常に手間がかかること、そしてそのような作物は市場原理に合わないことが大きな理由だという。

「種子を採り始めたのは、雑木林が自然と循環する姿に学ぼうと思ったから」という岩崎さん。種採り農家となって33年ほど経つが、そこで行き着いたのは野菜を育てることも人を育てることも同じということだった。種子を採る個体を選ぶことを母本選抜というが、きれいな形の野菜だけを選んでいたら、年々種子が採れなくなることに気づく。生命には多様性があるから次の世代へと健全な命をつなぐことができる。「ひとつの品種の野菜と種子を理解し、良い関係を築くまでには長い年月がかかるんです。」そう岩崎さんは笑う。そして「どのような野菜を美味しいと感じるか。料理人や飲食関係者からの率直な意見も、種子を残す時の参考になるのです。そしてそれを母本選抜しながら反映できるのが在来種野菜の良いところ」と続ける。種を採る農の営みは、なんと創造的な喜びに満ちていることだろう!驚きとともに、生活文化を豊かにしたいという人々の祈りが、在来種の野菜には込められてきたことに気づかされた。

「種をどうつないでいくか」。
岩崎さんは時折自問自答する。そこには生命を循環させる喜びと、手元に旅してきた種子を綿々とつないできてくれた人々への畏敬がある。同時に在来種の野菜が将来必要とされるだろうか、という若い農家への配慮と不安も入り混じる。そしてそれは、野菜を分けていただく私たちへの「生命をつなぐものをどのように食べ、支え続けるか」という問いかけでもある。

現在、若手農家はじめ、前述の奥津さんや福岡で岩崎さんの野菜を販売する金子商店・金子尚生さんを中心に、「雲仙たねをあやす会」を設立。月に1回ペースで岩崎さんの畑を訪ね、在来種の野菜の栽培と種採りを学び、受け継ぐ活動を続けている。

Text: Aya Ogawa
Photography: Yuna Yagi